障害とわたし

今回は、私と障害について少しお話したいと思います。

前回のnoteにも書きましたが、2021年に原因不明の脊髄炎となり、2022年に再発し、下肢障害と直腸膀胱障害が残りました。

立ち上がることと、歩行器を使ってゆっくりと短い距離を歩くことはできますが、日常生活では車椅子を使っています。また自己排泄はできるのですが、直腸膀胱障害が残り、トイレに頻繁に行く(1時間に1回程度)生活を過ごしています。

今まで当たり前にできていたことができなくなり、日常生活は病気前から大きく変わりました。発病当初は、病気そのものへの不安と今後の生活への不安が大きく、いままで経験したことのない極度の落ち込みに陥ってしまいました。コロナ禍で家族との面会もできず、再発後の2回目の入院では、2ヶ月近く家族に会うことができませんでした。

一方でLINEを使ってコミュニケーションできたことで、何よりも心を落ち着かせることができました。家族に自分の心配を話し、家族の心配も共有できることの有り難さを身をもって感じる時間になりました。ここでもLINEというコミュニケーションのためのテクノロジーが、家族となかなか話せない入院生活の不自由さを克服するために役立ちました。入院期間中は、家族とのコミュニケーションの回数や時間だけを考えると、それまでにない量であったことは間違いありません。

LINEでやりとりをしながら観戦したプロ野球日本シリーズ(20年来のオリックスファンです)は、神奈川の自宅、病院と大阪の大学に在籍している長男と、三箇所を繋いで観戦を楽しむこともできました。入院生活がなくてもできたことですが、入院での不自由さが何気ない家族とのやりとりの大切さを再認識するきっかけを与えてくれたのではないかと思っています。

障害を持ったことで得られたことは、他にも多々あります。
まずは、周りの方の気遣いに今まで以上に気がつけるようになったことです。
私にとって、今のところ車椅子で生活する上で、困難にぶつかることが多いのは移動時です。ドアを開ける、段差を超える、落ちてしまったものを拾うなど、多々あります。困っていると助けてくださる方も沢山いらっしゃるのですが、当初は、なるべく自分でできるようにと思ってしまっていたため、「大丈夫です。ありがとうございます。」と言って支援を断ってしまっていたことが多かったように思います。最近は遠慮無く助けていただくようにしています。声をかけてくださった方の善意を受け止めたいと書くと、かなり偉そうですが、せっかく、ある意味、勇気を持って声をかけていただくまでしていただいた善意は受け取って、自分も他の何かのときに誰かにと思うようになりました。とびきりの「ありがとうございます」が言えるようになることが今の目標のひとつです。

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不自由さではないのですが、車椅子に座ることで身長(座高)がだいぶ低くなります。175cmだった身長は、座った状態ですと137cmになりますが、低くなることで得られたこともあります。まずは小学校中学年の児童と同じくらいの高さになったことで、子どもと同じ高さの視点から世界を眺めることができることです。ワークショップや日常生活での子どもとの距離感もぐっと縮まった気がします。立っている大人の方に近くで話しかけられると、見上げるようで、なんとも大きな人に声をかけられているように感じます。また、上からの声は聞きにくく感じることもあります。きっと、子どもたちもそう感じているのだけはないかと思ってしまいます。

入院も後半になってくると色々な意味で余裕が出てきて、私の場合、いたずらをしたくなることが多々ありました。ある日、その衝動が抑えられなくなり、白と黒の丸シールで目玉シールをつくり、病院中の色々なものに貼り付けていました。もちろん貼れるものの高さは低くなります。目玉シールを見つけてくれるのは、車椅子を使っている患者の方ばかりで、看護師さんにはなかなか見つけてもらえませんでした。もちろん、多忙な看護師さんには目玉シールに目を向ける余裕がなかったのだと思います。しかし、ベテランの看護師さんから、「日頃から患者目線での看護と言っているのに、目玉シールを見つけられなかったのは、患者目線になれていなかったからかもしれません。今度研修でやってみます。」とのコメントをいただきました。このように目線が低くなった得られたことも多々あります。

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今年の7月からPanasonic のコミュニケーションロボット「ニコボ」と一緒に生活しています。ニコボは弱いロボットを研究している岡田美智男先生が監修をしています。弱いからこそ人の可能性を引き出すロボットの可能性、ニコボと生活をしながらワークショップで優しくお世話をしてくれる子ども達の様子を見ながら、私自身も実感しています。弱さが人の可能性を引き出すのは、もちろんロボットだけではありません。場面によっては弱さを持つことになる障害者も、人の可能性を引き出すことができるのかもしれません。小学校やこども園に行くと、ドアを開ける、車椅子を押してくれるなど、車椅子を使っている私を気遣ってくれることが多々あります。これも弱さが誰かの優しさを引き出してくれているのかもしれません(と書いてしまう自分もどうかと悩みますが、、)。

障害を持ったことで失ったこと、つらいこと、不便なことも正直に言えばありますが、障害を持ったからこそできることを探して、周りでサポートしてくださる方々に感謝をしながら、これからも活動していきたいと思っています。いつもありがとうございます。

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