コンストラクショニズム的卒業研究の支援

コンストラクショニズム(Constructionism、構築主義)は、私自身の研究の拠り所となっている考え方です。MITのSeymour Papertらによって提唱され、育てられてきたコンストラクショニズムは、「人は自ら興味を持てるものづくりに積極的に関わっているときに、知識を能動的・協同的に構築する」という考え方です。

ここでいう「ものづくり」は、単に物理的なモノをつくることだけを指しているわけではありません。広い意味での「つくる」行為全体が含まれています。例えば、いま書いているこの文章も、ものづくりのひとつと考えられます。日常生活に目を向ければ、料理をつくることや調理すること、その日のファッションをコーディネートすること、さらにはメークアップも含まれるでしょう。仕事においても、企画書をつくることや段取りを組むことなど、すべて「つくる」行為に含めてよいのかもしれません。

コンストラクショニズムで大切なのは、単なるものづくりではなく、個人的に意味や興味を持てるもの、すなわち Personally Meaningful ArtifactPMI) をつくることです。自分自身が興味を持ち、夢中になって取り組んでいるものづくりのなかで、さまざまな気づきが生まれる経験は、誰もが一度はしているのではないでしょうか。夢中になり、時間を忘れて没頭している状態を、心理学者のCsikszentmihalyiは Flow(フロー) と表現しています。「あれ、あっという間に時間が過ぎていた」と感じるようなものづくりの時間のなかで、知識は構築されていきます。

そして、その知識は個人によって多様です。それぞれがこれまでに持ってきた知識と、つくる経験とが重なり合うことで、新たな知識が構築されると考えれば、まったく同じ経験だけを持つ人はいません。したがって、構築される知識が一人ひとり異なるのは当然のことです。知識そのものが個人によって異なるという点も、コンストラクショニズムを考えるうえで重要な要素だと感じています。

話を学生の卒業研究に戻します。卒業論文もまた、「つくる」対象のひとつです。年明けの提出日に向けて卒業論文の執筆を続けている学生に対して、どのような支援ができるのか。毎年この時期になると悩みます。卒業論文を Personally Meaningful Artifact にするために、教員には何ができるのでしょうか。

もちろん、人の興味そのものをデザインすることはできません。教員が提供できるのは、あくまで「きっかけ」に過ぎません。ワークショップなどの実践の機会を提供すること、私自身が進めているプロジェクトに参加する機会を設けること、プロジェクトに関わっている方々との対話の機会をつくること、あるいは個々の学生と研究相談を行うことなどを、ゼミの時間以外にも意識的に設けるようにしています。

しかし、ここまで書いてみると、「きっかけをつくる」「機会を設ける」といった表現自体が、かなりおこがましいようにも感じられます。きっかけにするのも、機会とするのも、あくまで学生・学習者自身であり、他者から一方的に提供されるものではないからです。そう考えると、学生のPMIのためのきっかけをつくろうとする営みを通して、結局はコンストラクショニズムの考え方やPMI、さらには大学教育そのものについて、私自身が学んでいるだけなのかもしれません

とはいえ、その「学ぶきっかけ」が生まれるのは、大学で働き、ゼミの学生がいるからこそであり、大学という環境があったからでもあります。コンストラクショニズム(構築主義)的な卒業研究の支援について、考え、実践しながら、私自身がコンストラクショニズムと卒業研究支援について学び続けているのだと感じています。

学びの機会をいただいている学生に感謝です。

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